今年の「新千歳」(1) 短編『Acid Rain』、『SHISHIGARI』、そして長編『Away』

 11月1日から4日間開催された、第6回新千歳空港国際アニメーション映画祭、私は今年が3回目の参加となった。この映画祭の意義、独自性については、前年までのこのブログで書いたので、ここでは、会期中に見た作品で印象に残った作品をいくつか書いておきたい。
 
 まず、短編のコンペティションで最高賞のグランプリを受賞した『Acid Rain』(T・ポパクル監督、ポーランド、2018年)である。

 村から抜け出した少女(といっても10代後半か)がさまよい歩く中で、やがて仲間を得て自動車で移動しつつ、彼女が認識する実体とイメージとが交錯するかのような世界を、あたかも現代の諸様相を凝縮した映像として、圧倒的な独創性で描き出した力作である。
 モーションキャプチャによる人物のアニメートと、ヴィヴィッドな色彩・デザインとの組み合わせは、見る者には強い不安感をも与え、26分という短編アニメーションとしては長めの呎ながら、決してスクリーンから眼を離すことができない。
 「こういう短編アニメーションが出てきた」ということへの驚きと、それにグランプリを与えた新千歳の存在感とが、同時に感じられた。
 
 次に、押山清高の『SHISHIGARI』、今もっとも注目されるアニメーターの一人である押山の初の短編作品である。北国の雪深い山中で、初めての狩りに挑む少年の様を描くストーリーだが、これまた『Acid Rain』とはまったく異なる手法で、描かれた世界と空気、そして息遣いを重厚なタッチで映像化してみせた。
 日本ではしばしばリアリティ、それを裏づける作画の密度や技量が問われてきた。その一方で、作画の文法や方向性に関する多様性を模索する動きもあり、以前、「日本アニメ(ーター)見本市」のいくつかの作品で試みられたような実験性もあった。
 『SHISHIGARI』には、そうした多様性への模索や実験性が見られ、それが高い水準で成功しているように感じられた。
 受賞に至らなかったのが非常に残念なのだが、本作は今後の展開によっては長編に発展していきそうな気配で、その流れに乗ることを強く期待したい。
 近年こうしたパターンで、つまり個人作家がまず短編として発表して、資金を募り、結果的に長編に発展させていく作品が増えているようである。
 
 『Acid Rain』と『SHISHIGARI』に共通していることとして私が見たのは、両作とも、しばしば問われるテーマとかメッセージとか、そういうこと以上に、「アニメーションでどのような世界を表現するか」という1点へのこだわりである。
 この点は、実はアニメーションを手がける者にとっての出発点であり回答であるはずだが、その点を突き詰めることなく、観客を気にしすぎる(つまり「何かを伝えなければならない」と考えすぎる)作者が少なくないのが現在だと、私は感じている。
 
 そしてもう1本、長編コンペティションでグランプリに次ぐ審査員特別賞を受賞した『Away』である。
 作者は、ラトビアの25歳、G・ジルバロディス監督。75分の長編を、音楽に至るまで1人で制作したという驚愕の作品である。
 今年の東京国際映画祭でも上映されたので、そちらで見た人もいると思う。しかし、話題になることはほとんどなかった。
 『Away』のストーリーは、映画祭公式パンフに寄せられた作品紹介では「少年と鳥がオートバイで島を駆け抜ける。黒き精霊から逃れ、家へと帰るために。」という短文のみ、さすがにこれだけでは未見の方々にはよくわからないと思うし、私も同じ思いで鑑賞した。
 そして、私は深く感動した。長くなるので、(2)で詳しく書きたいと思う。