今年の「新千歳」(2) アニメーションという大海に身を委ねた「Journey ; 旅路」―― 長編『Away』

 今年の「新千歳」(1)に引き続き、ラトビアの長編『Away』について書く。
 本作は、全体で4部に分かれている。
 第1部は「オアシス」
 冒頭、パラシュートで降下したと思える少年が巨木に引っかかっているシーンから始まる。周りは何もない荒野、そこに、巨大な「黒き精霊」が現れ、少年にゆっくりと近づいてくる。逃れた少年は、やがて緑深いオアシスに迷い込む。そこで、まだ飛べない黄色の小鳥と出遭う。
 少年はその深い緑の中で小さなリュックサックを見つける。中には、水筒、マッチ、地図、鍵などが入っていた。
 そして、オアシスの入口近くでオートバイが放置されており、リュックに入っていた鍵を差し込むと、エンジンがかかった。振り返ると、あの精霊が自分をゆっくりと追いかけてくる。
 少年は意を決して、オートバイにまたがった。小鳥とともに、彼の「Journey」が始まったのである。
 
 第2部は「鏡の湖」
 オートバイを走らせ進み行くと、深い深い谷に木組みの橋がかけられたところに出る。少年はおそるおそる橋を渡りきるが、あの精霊も追ってくるではないか。
 少年は高い岩山に登り、そこから巨石を落として、橋もろとも精霊を谷底に突き落とす。
 さらにオートバイを走らせると、鏡のように周りの風景を映し出し、静謐な湖の前にでる。しかし湖上はただの水ではない。少年は、湖上をひたすらオートバイで駆ける。
 
 第3部は「夢」
 夜。少年は旅の疲れを癒すように、熾した焚火の横で眠りにつく。
 ここから、現実と夢とが交錯してくる。墜落した旅客機の機内、相変わらず迫り来る精霊。そういえば、少年はなぜたった一人でパラシュートで降下したのか。
 
 第4部は「雲の港」
 少年の旅は続く。やがて、高い山の頂上から雲が晴れ、はるか視線の先に港が見える。あそこから船に乗ることができるのか。
 しかし港は、少年のいる山(陸地)から海を隔てた遥か先、少年は意を決してオートバイもろとも猛スピードで山から飛び出すが、届くはずもなく、海の中へ墜落してしまう。
 
 ラストシーンは書かないが、こんな具合である。
 登場するキャラクターは少年ただ一人。あとは精霊と動物たちだが、少年を含め、セリフもナレーションも一切入らない。物語の始まりから展開まで、少年の一挙手一投足、カメラワーク、そして音楽が物語の進行をつかさどる。それらはあくまで自然で淡々としており、劇的で過剰な演出は少しもない。何より、一人の少年の旅というシチュエーションから想像される「冒険」らしい冒険がない。

 
 上映後の監督トークによれば、本作では脚本やストーリーボードなどを最初から作らず、本編を制作していきながら内容を拡大していったのだという。
 私にとっては、逆にそうしたところが、素直に作品世界に入り込めた要因になった。いわゆる感情移入しない形で、アニメーションで描かれた世界と私とが一体になった、まさに私自身が「旅」をしているかのような、不思議な感覚に囚われたのである。こんなことは久しく記憶にないし、鑑賞した日は終日、興奮が冷めなかった。
 監督は「登場人物が一人なので、セリフは必要ない」「会話をなくしたことでカメラの表現が強調される」と語ったが、この独特のカメラワークは、どうやら監督がゲーム好きで、ゲーム映像のように、プレイヤー(鑑賞者)に主体をおいた演出になったからかもしれない。

 私がいつのまにか作品世界の主人公のように感じられたのは、それによるところが大きかったように思う。

 

 映像はフルデジタルだが、造形的には2D主体、影はつけず、色数も抑えられ、総じてシンプルに過ぎるくらいに作られている。
 監督は「単独で制作したので、そうならざるを得なかった」という。私に言わせてもらえれば、的確に「引き算をした」ということである。

 監督自身の制作による音楽も独特で、一つのシーンに対して一つのメロディが、オーケストレーションを含めて徐々に発展するようなサウンドで組まれており、私は観ていて非常に心地よかった。

 これについて監督は、「多くの予算があるアニメーションでは、音楽が「喋りすぎ」ている。自分は1シーンに1トラックで、音楽が邪魔しないようにした。シンプルな解決方法を選択するほうがうまくいくことを本作で学んだ」と語った。
 そしてその音楽は、本編に先駆けて制作し、出来上がった音楽によって映画のアイデアが出てくるほどになったという。
 
 こうした長編アニメーションなので、日本で人気を獲得できるタイプの長編アニメとはまるで異なる。一般的な観客の心を捉えるようなストーリーの起伏とか、リズムとか、劇的なシーンが皆無なのである。観ていて眠くなる観客も少なくないだろう。
 それは、やむを得ない。『Away』は、いままでに類を見つけ難い、「インディペンデントで長編アニメーションを作るとすれば」という命題に対する一つの解答を、ささやかに、かつ明瞭に導き出した作品だからである。
 
 それにしても、ジルバロディス監督は、なかなか用意周到である。
 本作が4部構成になったのは、第1部の「オアシス」を独立した短編として制作し、それ以降の3部も助成金などを得ながら制作して、全体で1本の長編にしたからである。そのため、第1部の制作には3年を要したが、2~4部はトータルで1年間で制作したという。
 監督は「たとえ長編として完成できなくとも、それぞれ独立した短編として成立するようにした」「ラトビアの文化組織から助成金を得たが、長編よりも短編のほうが資金を得やすい」と語った。
 要するに、アイデア、デザイン、ソフトウェアの使用法に始まって、音楽、助成金獲得に至るまで、「単独で長編を制作する」という目的に従った周到な戦略を立て、それに見合う戦術=技法での制作を実行したのである。第1部には3年を要し、以後は1年で完成をみたのも、第1部において、単独で長編制作するための戦術的な試行錯誤を繰り返したからだろう。
 
 現在構想中の次回作は、やはり長編で、単独ではなく少人数のチームでの制作になるという。それでも、「5人以上のチームにはしない。インディペンデントのスピリットをなくさないように」とジルバロディス監督は語る。
 次回作でも、アニメーションという大海への旅に、観客をいざなってほしい。