大きく育った映画祭 ーーー 第10回新千歳空港国際アニメーション映画祭を見て(後編)

 第10回新千歳空港国際アニメーション映画祭、前編に続くこの後編では、上映作品について具体的に書いていきたい。
 といっても、たくさんあるプログラムを全部見るのは不可能なので、私は国際映画祭では、新作が集まりグランプリを競うコンペティションは全部見るようにしている。というか、華やかな特別プログラムよりも、コンペティションを攻めた方が、アニメーションの「今」を吸収できる。
 コンペティションプログラムは、インターナショナルコンペティションが4プロ、学生作品を集めたコンペティション、日本作品を集めたコンペティション、ファミリー・子ども向け作品を集めたコンペティション、そしてミュージックビデオなどを集めたコンペティションがそれぞれ1プロ、加えて長編コンペティションが5プロ、合計13プログラムにも及ぶ。
 このうち日本コンペティションだけは当日の事情で上映開始から3本目までしか見れなかったのと、長編コンペに入った『めくらやなぎと眠る女』は、今年3月開催の第1回新潟国際アニメーション映画祭で見たので除外したが、それ以外は無事すべての作品を視聴した。
 短編の応募数は93の国と地域から2157本、このうち事前の選考審査を経て58本が本選に選出され、先述の各カテゴリーに配分されて上映された。
 一方長編は、24の国と地域から44本の応募があり、選考審査を経て5本が本選に進んだ。
 私が映画祭に長年参加し、また何度か選考審査やプログラム構成などに関わってきた経験から、映画祭のコンペティションは、選考審査のやり方で特色が決まると断言してよい。その意味で、新千歳の選考審査の考え方はおおむね理解しているつもりなので、今回の短編の58本を見て、新千歳らしいなとの感想をもった。
 それを端的にいうと、人間や人生についての深い掘り下げや問いかけ、社会や民族問題、自然環境への鋭いまなざし、そうした作品に注目している。一方で、アニメの魅力の一つであるショートギャグなど娯楽性の高い作品はほとんど選出されない。
 ただ、これは世界的な傾向のようにも思われ、新千歳の特色は、さらに深いところ、例えば性の問題の表現方法やデザインの斬新性などに注目している点にも求めることができよう。
 すでに、短編・長編ともグランプリをはじめとする各賞の受賞作が公式ホームページで公表されている。
 短編グランプリは、私個人の好みとは異なる作品だが、映像表現と、夢と現実が交錯しつつ、時間や空間をすべて超越するかのような展開が圧倒的だった。
 長編グランプリは、上映された5本の中でも別格の面白さ、痛快さで、これ以外にはグランプリはありえないだろうと思わせる作品だった。
 そうした中で、日本作品の不調がどうしても気になる。先ほど書いた、社会へのまなざしとか人間や人生についての掘り下げは、日本人アニメ作家は得意ではない。たとえば、家族について描いていても、社会問題を取り上げていても、それらは結局作者中心の世界で表現する傾向がある。
 私の印象で述べれば、日本人作家は自己の内面への思い入れが強すぎる一方で、自己を徹底的に解体し掘り下げ、再構築する術が不十分である。また、自己に対する周囲(家族、社会、地球)があっての自分というふうに、世界観を立体的に創造しながら、そこに自己を投入する考え方も、もっとあっていい。
 これからの国際アニメーション映画祭の予定をみると、来年3月の第2回新潟国際アニメーション映画祭、同じく3月の東京アニメアワードフェスティバル、8月のひろしまアニメーションシーズン2024、そして第11回目の新千歳。
 どのようなトレンドが形成され、プログラムが組まれるのか、楽しみにしている。