ますます「雄弁」な映画祭 −− 第5回新千歳空港国際アニメーション映画祭

 新千歳映画祭開催の前夜、私は札幌・すすきののバーで飲んでいた。この店には以前にも来たことがある。マスターが「お仕事ですか?」と訊いてくれたので、「新千歳空港で明日からアニメーション映画祭があるんですよ」と言ってみた。
 マスターと、もう一人のスタッフは映画祭のことを知らなかった。そんなものだろうと思かけたところ、驚いたことに、常連客らしい中年の男性客2人のうち1人が「知っていますよ」との返事。
 もとより1軒のショットバーでの短時間「リサーチ」であり、これですすきのでの新千歳の知名度を推し測るのは無理である。
 
 11月2日から5日までの4日間、空港ビルを会場にするという斬新さが特徴の新千歳空港国際アニメーション映画祭の第5回が開催された。
 受賞結果など一般的な情報は映画祭HPを見ていただくとして、またそれら作品の個別の印象も省略し、ここでは、新千歳は「何をやろうとしているのか」について、書いてみたい。
 
 私は前年の第4回が初参加で、特にコンペティション作品の選出のユニークさに衝撃を受けた。とにかく、プログラム構成と集められた作品群からして「雄弁」なのである。
 今回は2回目の観覧、コンペティション部門も「インターナショナルコンペティション」のほか、日本作品だけを集めた「日本コンペティション」、学生作品を集めた「学生コンペティション」、ミュージッククリップなどを集めた「ミュージックアニメーションコンペティション」の4部門まで増強され、コンペインは合計76作品となった。これ以外に「長編コンペティション」も今回から始まった。
 初回から3回目までは未見ではあるが、それでも2回連続で参加すると、この映画祭が、その雄弁さの向こうで「何をやろうとしているのか」の一端が見えてくる。
 
 映画祭のフェスティバルディレクター(FD)の「アニメーションの新しい才能・新しい地平をいちはやく発見し世界とつないでいく」「アニメーションの現在と未来を見据えたプログラムを揃え」るという言葉に、すべてが象徴されているように思われる。
 ただ、この言葉だけなら、やはりまだ相当に抽象的である。そこに何枚もフィルターを重ね、何箇所かで切断・再構成していかないと、つまりは恣意的に事を進めないと、2000本以上の応募作の中からわずか76本のコンペティション作品を選べないし、目指すべき方向性(戦略)だけでなく、そこへ向かう個々の手法(戦術)が曖昧模糊としてしまう。
 私のような一観客は、選出されたコンペ作品とプログラム構成から戦略や戦術を推測することになるが、その限りにおいては、最終的な受賞結果はあまり重要ではなくなる。
 
 受賞結果は重要でない、とは言いすぎのようだが、それほどまでに、新千歳の応募作のコンペティションは、アニメーションの「新しい才能・地平」「現在と過去を見据えたプログラム」に彩られ、特色がある。それも当然で、応募作の選考委員はFDをはじめ、これまでの5回でほぼ同じメンバーだからだ。
 よく比較される広島国際アニメーションフェスティバルでは選考委員が毎回総入れ替えで、コンペ作品群の傾向も毎回変わる印象があるが、新千歳はそうではなく、固定された選考委員によって、新千歳の考え方が堅牢に維持され、発信しようとしているように思われる。
 
 その結果、応募作品を均等に選考審査するというよりも、最初から想定されたある枠組みに合致する作品を割り当てていく、ということになっているのではないか。
 さらに言えば、個々の作品よりも、作家の側に注目し、その作家の過去の活動歴を前提として、「この作家」が「今回こんな作品を応募してきた」ので「コンペインするか否かを決める」ということになっているのではないか。
 こうした傾向が仮に事実だとして、それの良し悪しに言及するつもりはない。その先にアニメーションの未来が見え、新しい才能とつながることができれば、それでよいからだ。
 
 ただ、日本人作家の作品のコンペの入り方に限って述べると、日本作品のみを集めた「日本コンペティション」(計12本)がある一方で、「インターナショナル」「ミュージック」に入った日本作品がそれぞれ2本、「学生」に入った日本作品が1本ある。しかし、学生作品でありながら「日本コンペ」に入った作品も複数ある。この差はいったい何なのか。
 これは、合計207本の応募があった日本作品から17本がどう選ばれたか以上に、私は気になった。
 そこで私がたどり着いた一つの推測が、先に述べた「作品よりも作家」という目線である。
 もう少し具体的に書けば、「新千歳はこの作家が好きなので、応募があれば出来るだけコンペに入れる」「この作家のテクニックはずば抜けているが、作家性が未完成なのでインターナショナルには入れない」といった意図が選考で加味されているように、私は感じた。
 
 こうして書いてくると、どうしても苦言を呈し、批判しているようになってしまうが、決してそうではないことを強調したい。
 新千歳のコンペは、観客に対して、時にプレッシャーとストレスを与える。これは、映画祭主催者の狙いと、あまりズレはないと思うし、私はそのプレッシャーやストレスが快感なので、前回に引き続いて今回も参加し、主催者から出禁を食らわないかぎり来年も参加するだろう。
 ただ、私がここで書いた新千歳の印象は私個人のものではなく、同じように感じている参加者やアニメ関係者は他にいることも事実である。それが、新千歳の目指す未来にネガティブな影響を与えないようにしなければならない。
 
 だいぶ長くなってきたが、あと2つ、書き添えたい。
 私が新千歳最大の魅力と感じるのは、いわゆる商業アニメと個人制作(インディペンデント)アニメとの区別はくだらないと考え、それを打破しようとしている点である。
 これは前回も感じたことだが、今回も、新海誠や石田祐康のような、インディペンデントからスタートし注目され、商業アニメで独自のポジションを獲得している作家に焦点をあてるプログラムに、よく現れている。
 そしてもう一つ。これは私の注意不足であればよいのだが、取材記者が少ない点が気になった。最終日の授賞式後、受賞者が会場ロビーの取材スポットに登壇しても、そこに集まった外部からの取材者は私を含め5〜6名、しかもそのうち少なくとも3名はメディアを持たないか、メディア関係者ではなかったと思う。
 これが実態だとすれば、今後の課題だろう。
 取材記者が多く集まり、メディアに取り上げられなければ、新千歳の存在が十分知られない。一般のメディアの眼は気にしないと考えるなら、それはそれで一つの価値観だが、新千歳の「新しい才能・地平」「現在と未来を見据える」というポリシーに吸引されてくる者たちを迎え入れるだけではなく、そっぽを向き加減の者たちを振り向かせる目線と言葉も必要だと、私は思う。
 つまりは、「雄弁」であり続けてほしいのである。
 
 新千歳空港国際アニメーション映画祭HP
  http://airport-anifes.jp/