引き算のやり方を覚え、引き算を恐れないこと :「GEIDAI ANIMATION 09 oh!」

公式HP: https://www.geidai-animation-09.com/
 
 恒例となった東京藝術大学大学院アニメーション専攻の院生たちの作品発表会、今年は「GEIDAI ANIMATION 09 oh!」というキャッチフレーズで行われた。
 最近は多様性もあり、かつ驚くほど「毎年違う」ことがこの作品展の特徴なのだが、若干気の毒に思うのは、藝大院だからこそ、否応なく注目されることである。
 それに、藝大院のインディペンデント作家だからこそ、超然として、放っておかれて育つという土壌があるようで、彼らはそれに慣らされることもあるのかもしれない。
 今年についていうと、作品一つひとつには見るべきところはあるが、全体的な感想になると、率直なところ、私が期待する「驚き」を提供してくれた作品は少なかった。
 もっとも、私が驚くことが短編アニメーションの現在や未来にとって良いことかどうかは別の話である。しかも私は、どちらかというと保守的なので、私が好まざる作品にこそ、アニメーションの未来を指し示す力があると言ったほうが、バランスが取れているかもしれない。
 
 前置きはこのくらいにして、今年の修了制作作品の中でも、藝大院から出てきたとは思えない異才を放つ関口和希さん、前作(1年次作品)の『死ぬほどつまらない映画』で、文字通り「映画をぶっこわそう」とするかのような作りで観客を驚かせたが、今作の『性格変更スクール』でも、相変わらずというか、無駄なおしゃべりはまったくない。見事というほかない。
 そして、天才的ともいえるテクニックを駆使するストップモーションの見里朝希さん、彼の武蔵野美大卒業制作の『あたしだけをみて』、藝大院1年次作品『Candy.zip』、そして今作の『マイリトルゴート』、1作ごとに前作とは違う試みを取り入れ、それがちゃんと作品に反映されているところが素晴らしい。心配な点は、この才能に自分自身が「負ける」ことだろうか。そういう作家は過去にもいる。学生時代が全盛期ということにならないよう、活動を続けてほしい。
 
 ここで、今回の藝大院作品展を含む最近の若手作家らの作品を見ての印象を踏まえ、2点、申し述べたい。
 
 まず、自分自身の内的問題を解決するためにアニメーションをつくろうと、安易に考えないこと。
 古今東西、自身の内的世界を具象化し、作品化することは多くの作家がやってきたが、それを「観客に見せる」ような形にするには、相応のテクニックと、十分なプランが必要である。プランが作品として表現されているかというだけではない。プランの結果が見る者に伝わっているかどうか、そのためのプランを練るべきである。
 いずれにせよ、自分のために書いた日記の延長線上のような、しかも暗い作品を何本も見させられるのは御免こうむりたい。
 
 そして、作品づくりに「禁じ手」を設定すること、さらに言えば、「引き算」を恐れないこと。
 私の好きなある写真家が、「写真は常に引き算である。よけいなことを省くことによって、主題はより明快になる」と述べているが、私はこの言葉が好きで、しかも多くの表現領域に通じることだと思う。
 私の本業の文章書きだって同じだ。たとえば、3000字という文字数で注文を受け、書き始めたら、倍以上の字数になることはざらにある。そこから「引き算」をするのである。なにを引き算すれば言いたいこと(主題)がより明確になるのか、読み手にとって心地よいリズム感の文章になるのか。
 書きたいことを書くだけでは作品にならない。「引き算」するところに作家性が現れる。これは、短編アニメーションでも同じだと、私は思う。