世界映画大事典

 
 ●「世界映画大事典」
  監 修: 岩本憲児・高村倉太郎
  出版社: 日本図書センター
  刊行年: 2008年
  定 価: 28,000円
 
 
 
 これを読むのに時間がかかったわけではないが、国内外の映画関連のさまざまな事項と人名をまとめたこの大事典を、久々の更新で取り上げてみたい。
 定価が2万8000円+税、B5判・上製・箱入、約1200ページという、何かの重しになりそうなライブラリー仕様の大事典なので、個人で所有するかどうか悩ましいところだが、アニメーションだけではなく、映画分野を広く包括しつつ研究を進めたければ、やはり手元にあったほうがラクだと思う。
 この中で、さっそく、アニメーション関連の項目について、見てみたい。
 
 その前に。
 この事典は、私の知人の間でもずいぶん前から話題になっており、実際、刊行までに10年以上を費やしている。その間、項目を精査し、また日々刻々と変わる映画界の事象を踏まえて加筆修正し、ようやくこの巨大な刊行物となって世に出たわけだ。
 それで、読者というものは勝手なもので、こういうものが出ると、さっそく「間違い探し」を始めてしまう。私自身、何冊か単著を出しているが、とにかく間違い探しをやるために読んでくれているのかといいたくなるような読者にも、何人もお会いした。
 間違いは、やはりあってはならないものだし、したがって間違いの指摘はありがたいことなのだが、筆者の立場からすると、少々複雑だ。その心境を一言で言えば、もっとちゃんと読んでもらえれば・・・、というものだ。
 
 ひるがえって、本事典の執筆や制作にいっさい関わっていない私が、本事典について「間違い探し」をやるとなれば、実に身勝手なものだと自分でも思うが、しかし、そもそも事典での各項目の文字数には厳しい制約があり、じゅうぶんに書けない、書ききれないことも少なくない。
 だから、この大事典を利用する際には、それを単に調べて読み参考とするだけではなく、自ら新たな項目を加えるとすれば、また加筆するとすればどう書くか、という建設的な立場を忘れないようにしたい。
 
 
 さて、本題に入りたい。
 本事典の全収録項目数約4100のうち、アニメーション関連項目は、私が見た限り161項目あった。この中には、「大川博」「オブライエン」「コンピュータ・グラフィックス」など、必ずしも「アニメーション」特記の項目ではないものも含んでいるので、読者によって、多少その項目数の拾い方には差が出ることをご了承いただきたい。
 
 まず、項目数だが、全収録項目中161項目ということは、割合にして約4%ということになる。
 これを多いと見るか妥当とみるか少ないと見るか、私は非常に少ないと思う。それは、取り上げられている項目を見れば、なぜこうなったのかが一目瞭然だ。
 例えば、国内のアニメーション制作者は、ようするに、歴史的にみて著名な制作者と、主として個人制作の立場で、それも1970年代に業績を挙げた大御所のような制作者が多く取り上げられており、日本のアニメーション通史を考えた場合、バランスを欠く。
 具体的には、近現代の商業系アニメーション監督として取り上げられているのは、宮崎駿高畑勲富野由悠季手塚治虫りんたろう押井守大友克洋の7人である。このほか、アニメーターである大塚康生、初期東映動画の藪下泰司、スタジオ創設者・原作者の横山隆一吉田竜夫が入っている。
 つまり、庵野秀明出崎統笹川ひろし辻真先松本零士大河原邦男杉井ギサブロー高橋良輔今 敏細田守らが、入っていないのである。大塚康生が入っているのに、同じように業績を挙げ、ファンが多そうな森やすじ小田部羊一は入っていない。
 2000年代に入ってメジャーになった細田守今 敏を取り上げるのは難しかったかもしれないが、刊行直前まで項目をいじっていたようだし、例えば劇映画関連では、1969年生まれの河瀬直美が入っている。90年代からメジャーになった人名は、入れることができたはずだ。
 
 一方の個人制作系(戦後)で、久里洋二、木下蓮三、川本喜八郎岡本忠成、相原信洋、山村浩二らが入っているのはいいとして、林静一田名網敬一鈴木伸一なども入っている。
 入れるな、とは言わないが、前述のように商業系で入っていない人たちと比べると、日本のアニメーション全史からみたこれらの個人制作系(特に70年代にポツンと自主制作を発表しただけの林静一など)を入れているのは、いかにもバランスが悪い。それに、白組の島村達雄、立体アニメーションの浅野優子らが入っていない。
 
 スタジオでは、東映動画虫プロダクション、おとぎプロダクション、竜の子プロダクションスタジオジブリは入っているが、おとぎが入っているくらいなら絶対に入れるべきTCJ、東京ムービーサンライズ日本アニメーション、そしてガイナックスは入っていない。
 ちなみに、「アニメーション映画」という大きな項目があり、そこで日本のアニメーション史についても書かれているのだが、そこでもこうしたスタジオについては、TCJ以外は、名称さえ出てこない。また、『千と千尋』のベルリン受賞・アカデミー受賞には言及しているのに、『エヴァ』は影も形も出てこない。
 
 こうした傾向は、海外事項についてもおおむね同傾向で、ようするに、1970年代までに知識の習得と熟成を終えてしまった立場で書かれていると断じられても、仕方のない状況である。
 もう一つ、商業系(娯楽)vs個人制作系(芸術=アカデミズム)という対立軸があるとすれば、完全にアカデミズムの立場で項目が抽出され、解説された結果とも言える。アカデミズムから嫌われている私などからすると、しょうがないなあと思いつつ、いささか寂しい。
 
 まあ、冒頭にも書いたように、こういう画期的な図書が出れば出たで、とやかく枝葉末節を・・・、いやいや批判を受けるのは常で、分担執筆者のほとんどは知人なので、もしこれを読んでいただいているなら、我慢して読み飛ばしていただきたいが、これも先述したように、こうした項目選択と解説には、その筆者の歴史観が色濃く現われるものである。
 だから、もし私が項目選択をするとすれば、もっと商業系の項目を増やしたほうが、映画史、それも世界映画史の立場からみた日本のアニメの位置づけをはっきりと明示できると考え、あえて書きつらねている次第である。
 
 最後に、項目解説の中で、いくつか気になったことを、以下に列記しておきたい。
 
 「瀬尾光世」の項目の中で、瀬尾の本名を「瀬尾太郎」としているが、これは戦後彼が絵本作家用に使った、「光世」に次ぐ2つめのペンネームで、本名は「瀬尾徳一」である。
 
 「アレクセイエフ」の項目の中で、彼の手法であるピンスクリーンを「非常な忍耐を必要とする」手法としている。
 たしかに以前の国内文献ではそう説明されていたものが多かったが、アレクセイエフによるメイキング映像や彼の回想録などをもとにした最近の(国内の)研究では、ピンスクリーンは、少なくともオイルペインティングやクレイアニメーションなどと比べても簡易な方法だったという評価のほうが正確だと思う。
 
 「グリモー」の項目の中で、『やぶにらみの暴君』(1952)を「フランス映画史上最初のカラー長編アニメーション」としているが、これは誤り。この2年前に公開された、ジャン・イマージュの『勇敢なジャンノオ』が、フランス最初のカラー長編アニメーション。
 
 「実験アニメーション」の解説は不満。ここでの実験アニメーションの定義は、「産業的に作られるアニメーション映画に対し、産業から独立し個人的に芸術表現として作られるアニメーション」であって、「芸術表現」という語が気になるが、ほとんど「個人制作アニメーション」のことである。
 この事典では「個人制作アニメーション」という項はないが、実験アニメーションと個人制作アニメーションは同義ではなく、また個人制作アニメーションの中に実験アニメーションが含まれるということもない。
 私の見解としては、商業系か個人制作系かは関係なく、また短編か長編かも関係ない。ようするに、技術的・表現様式的に、「制作された時代の常識を打ち破るような実験的な試みが成されているかどうか」が重要であって、実験が成されるには個人でなければできないというのは、俗説である。
 
 「デジタル・アニメーション」の項目で、日本のアニメーターの役職名である「動画」に「inbetweener」をあてているが、これは正確ではない。日本でいう「動画」には、英語圏(特にアメリカ)でいう「assistant animator」と「inbetweener」の概念が混ざってしまっているからである。できれば、「アニメーター」「アニメーション制作手法」といった項目を立ち上げてフォローしたかった。
 
 「ブラックトン」の項目で、『ゆかいな百面相』が出てこない。
 
 
 こまかいところは他にもあるが、いずれにしても、研究者を目指す若い人たちは、私のような「間違い探し」に終わらず、この事典の項目に対して検討を加え、自ら加筆することによって、「アニメーション学」の向上を図っていって欲しい。