自著 「アニメ作家としての手塚治虫」

 
 富野由悠季関連の文献を紹介したところで触れたので、再び自著の紹介。ご容赦いただきたい。
 
 ●「アニメ作家としての手塚治虫
  著 者: 津堅信之
  出版社: NTT出版
  刊行年: 2007年
  定 価: 2400円
 
 
 
 日本の戦後アニメ界の流れには東映動画系と虫プロ系がある、と言うと、必ず例外的事象を指摘して批判する人たちがいるし、その意見もよくわかるのだが、総体として、この2系統を認識すると、日本のアニメ史は非常にわかりやすくなる。
 そして、現在のアニメ発展は、東映動画系か虫プロ系か、どちらの功労ゆえかという質問に答えると、その人のアニメ史観がよく現れる。
 もちろん私は、虫プロ系の功労ゆえと評価する側であるが、これは圧倒的に少数派だろう。なにより、東映動画系のスタジオジブリの存在感が巨大だし、年配アニメファンの中には、『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968)など、東映動画長編全盛期の「マニア」が多くいるからだ。
 
 一方で、虫プロ系の評価は、よろしくない。
 虫プロが『鉄腕アトム』で導入した、徹底的な省力化、異常な低コスト、そしてそれらがもたらした、アニメの質の低下と劣悪な労働環境など、アニメ界の負の部分は、おおむね「手塚の責任だ」という言い方をする専門家や業界人は、いまだに多い。
 本書は、そうした趨勢に少しでも変化をもたらしたいと、執筆したものである。
 
 私自身大きな収穫だったのは、「アトム1本55万円説」が、実は違っていて、実際にはもっと多くの制作費を得ていたという証言である。
 最初にこの証言に接したのは、中日新聞に掲載されたコラムである。そのコラム執筆担当の記者には面識があったため、私は即座にその記者さんに連絡して、コラムに登場していた元虫プロスタッフの連絡先を伺い、詳しく取材することができた。
 だから、本書でも書いたのだが、「55万円説」否定意見の最初の発掘者は、中日新聞の記事である。
 この取材で、あらためて痛感したのは、虫プロ虫プロなりに企業努力をしていて、むしろ虫プロに慌てて追随した他のスタジオの戦略の欠如のほうが、その後のアニメ界にもたらした弊害の責任としては何倍も大きいのではないか、という点である。
 リミテッドアニメーションを多用して、動きを極端に少なくしたアニメーションスタイルにしても、『アトム』放映前、1950年代末から大量に放映されていたアメリカ製テレビアニメで普通に見られたもので、アニメの動きの質という点に関する限り、『アトム』を境にして変化してはいない。
 これらの点は、アニメ研究者・業界関係者に、ぜひ認識を改めてもらいたいし、少なくとも、虫プロと手塚の仕事について再度視線を注ぐきっかけにしてもらいたいと思っている。
 
 もう一つ、「手塚はディズニーのようなアニメを目指していた」という通説への疑問である。
 もちろん、手塚自身から証言を求めることはできないので、当時の虫プロスタッフや、手塚が残したエッセイなどを集めて、私が推測することになったのだが、結果として、私は「手塚はディズニーを目指していなかった」という説を導き出した。
 
 そして、結論としては、東映動画がやっていたような、「年1本の長編アニメ制作」という体制では、現在の日本アニメ発展は決してあり得ず、スタジオジブリもなかったであろう、ということ。
 
 悔いが残ったのは、執筆に際して、議論を絞ったため、取材する相手もかなり絞り込んでしまったことだ。「もっとたくさんの人にインタビューしたほうがよかったんじゃないか」というご意見もいただいたのだが、たしかにその通りだと思う。
 そうであればあるほど、虫プロ研究は、まだ始まったばかりであり、今からでも決して遅くはなく、どんどん研究を深めて、再評価していかなければならないのだ。
 私は、それが日本のアニメ研究者に課せられた使命だと思っている。