82歳の新機軸 -- 宮崎駿監督『君たちはどう生きるか』雑感

 公開初日の夕刻の上映枠で、私は『君たちはどう生きるか』を見た。
 細部に至れば物語の破断とも思える描き方はあったものの、一つの映画世界をしっかり構築していた。異なるコミュニティへ入った少年、その少年の「修行」時代、自身の存在の意味の模索など、構成もオーソドックスである。
 私は、そうしたオーソドックスな質感の映画を、宮崎監督が82歳にして完成させたことが「新機軸」だと思った。この先、彼がどんな作品を作るのかが楽しみになってしまった。しかし彼の年齢や制作法を考えたとき、次回作に出会える可能性は低い。
 だからこそ、もっと早くに、たとえば『崖の上のポニョ』(2008年)よりも前に、本作のような長編アニメが見たかったのだ。
 少なくとも、『ポニョ』や『風立ちぬ』(2013年)を見た際に感じた、映画監督の最晩年を感じることは、今回はなかった。
 
 本作に、テーマとか観客へ向けてのメッセージは、ない。観客は、タイトルに惑わされてはならない。
 もともと宮崎監督はテーマで映画を作らないし、また「伝えたいメッセージがあるなら壁に大きな字で書く」タイプである。彼はあくまで一つの世界を構築し、表現するためにアニメーションという技法を使っている。その世界に登場する人物(キャラクター)の生き方や発する言葉に、観客は時としてメッセージを読み解こうとするが、それは観客が手にしている解釈の自由ゆえである。
 『君たちはどう生きるか』は、宮崎監督の特性が純度高く実現した長編アニメだった。
 
 本作のキービジュアルとして唯一の「鳥のようなもの」は、作中では「アオサギ」として登場した。しかも全編にわたって、物語の進行を司る重要な存在だった。
 この鳥は、フランスのポール・グリモー監督の長編アニメ『やぶにらみの暴君』(1952年、改作時のタイトルは『王と鳥』)で登場した鳥を強く思い起こさせる。
 また、「すべてのクレタ島人が嘘つきだったら、その命題は真か偽か」という論理学のパラドックスを、かつて宮崎監督はアニメ界を評しようとする際に使ったことがある。かつてと書いたが、正確に書くと1986年秋、兵庫県明石市での宮崎監督の講演会である。
 それが今回本作で、ほぼそのまま登場人物のセリフとして使われていたのには、私は劇場でのけぞった。
 本作を見終わった直後、以上の例のような、宮崎監督がその長いキャリアの中で置き忘れた要素を、いくつも盛り込もうとしたのではないかと思ったが、そうした解釈はつまらないと、自重することにした。
 見終わった直後といえば、私はインスタグラム(@nobuyuki.tsugata)で「これだけの作品をつくれる(つくる気があった)のなら、もっと早くに見たかった。たとえば、『ポニョ』よりも前に、とか」とだけ書いた。
 その所感は、冒頭にも書いたように、いまも変わっていない。
 
 ものを作る人にとって、その人が生きる「時代」と縁を切るのは難しい。さらに、その時代を生きてきた「自分」と縁を切るのは、ほとんど不可能である。
 ものを作る人である宮崎監督は、本作でこの点にも挑戦した。本作から「なぜ現代にこの作品が現れたのか」を感じ取れないからである。本作が難解だと感じた観客が続出したのは、それが理由かもしれない。

 

 最後に。今回大いに話題になった、事前にいっさい情報を出さない宣伝方法には、まったく賛同できない。というか、宮崎駿スタジオジブリほどの「どでかい存在」が、あんな宣伝方法を選んではいけない。
 おそらく、事前のリサーチか何かで、あの宣伝方法を選択する冒険が必要だという判断になったのだろうけれど、1984年春、『風の谷のナウシカ』を高校1年生の時にみて、以後多感な10代~20代にかけて、宮崎監督の長編アニメを最も幸運なタイミングでみてきた私のような世代からすれば、寂しい限りだった。