ひろしま、新千歳、東京、そして新潟 ーー 第1回新潟国際アニメーション映画祭を観覧して(中編)

 前編で述べたように、コンペティションが行われるアニメーション映画祭では、公募対象を短編に加えて長編を扱うかどうかが一つの分岐点である。現在日本で開催されている新千歳、東京、ひろしまの3つはいずれも長編を対象に入れている。

 次に、作品のタイプによるカテゴリーの設定である。東京は「短編」「長編」の2区分のみだが、新千歳とひろしまはそれぞれ独自のカテゴリーをつくり、それごとに受賞作を選出して、全体の最高賞としてのグランプリがある。ひろしまは短編と長編とを分けずに審査している。

 前編を含めてここまで述べてきて、「テレビアニメはどうなっているの?」という疑問を抱かれた読者もおられるだろう。海外のアニメーション映画祭ではテレビアニメを一つのカテゴリーとして公募し審査している例もあるが、日本では現在のところそれはない。

 形式的にいえば、短編は通常「上映時間30分以内」だから、おおむね1話20数分のテレビアニメなら1話単位で短編部門に応募するのは可能で、実際広島フェスでは過去にテレビアニメ1話がコンペティションに入った例もあった。

 こうしたことから、長編アニメ専門でコンペティションを行う新潟フェスは、日本はもちろん世界的にも例がない、非常に珍しく、意義深い映画祭である。

 

 そんな位置づけの新潟フェスだが、今回の第1回大会で私は、コンペティションを中心に観覧し、数多く組まれた他のプログラム(大友克洋新海誠らの特集上映、トークやフォーラムなど)はわずかしか見なかったので、あくまでコンペ中心の所感となる。

 とはいえ、新潟フェスの核心は長編コンペである。エントリーされた作品は10本で、これはすべて見た。

 率直な感想は、10本のタイプには大きな差があった。良く言えば多様性に富み、悪く言えば技術的・内容的にレベルの低い作品も混じっていた。

 映画祭開催途中で知ったのだが、応募があったのは世界15の国と地域から21作品だったという。これを事前に一次選考にかけて、本選となる映画祭で10本が上映されたから、応募作のうちほぼ半数が一次選考を通過したことになる。

 以前、私はある国際アニメーション映画祭の長編部門の一次選考に関わったことがある。この際は、応募が約15作で、そこから本選に4作を選んだ。短編にせよ長編にせよ、本選に何本入れるかは、多くの場合、映画祭での上映枠の時間内に収めなければならない事情がある。私が関わった長編アニメ選考では、私の眼からすれば、受賞候補になり得るレベルの作品は2本くらいだった。他の国内外のアニメーション映画祭の長編部門でも、だいたい4~5本が本選に入ることが多い。

 つまり、21作のうち10作を本選に入れるというのは、いかにも多いわけである。良くも悪くもさまざまな作品が入ってきたのは当然だった。

 ただ、別な捉え方をすれば、世界的にも初めての長編アニメーション専門映画祭で、どのように作品を募り、どう選考し、一般観客も集うコンペティション上映作品を選ぶか、すべてが実験であり、かつ議論を喚起する内容にできるかが肝要である。その意味では、ストーリーテリング、社会性、デザイン、アニメート、3DCGの使い方まで、興味深い揃え方をした10作にも見えた。

 

 さて、受賞結果。グランプリの『めくらやなぎと眠る女』(P・フォルデ監督、フランス・カナダ・オランダ・ルクセンブルク)は私の予想通りだった。村上春樹の短編小説を独自に再構成した作品で、東日本大震災後の東京が舞台、ごく普通に見える人間の内外を淡々と、かつ泥臭く描いた。日本で理解されているアニメのエンタメ性は皆無に近いが、劇映画では表現できない世界やキャラクターなど、アニメファンではない大人向けの要素は存分にある。「こういうアニメを商業作品として公開、成功するにはどうすればよいのかを日本のアニメ界は考えよ」という審査陣のメッセージが聞こえそうな授賞だった。

 監督のピエール・フォルデ(Pierre Fӧldes)は、私などはピーター・フォルデスという1960年代からコンピュータを使った前衛的な短編アニメーション作家を思い出すが、ピエールはそのピーターの息子である。

 そして、元来は「監督賞」「脚本賞」「美術賞」「音楽賞」という賞が設けられていたが、審査員の合議の結果、「傾奇賞」「奨励賞」「境界賞」という3つの賞に変更し、それぞれ1作ずつ受賞作が決まった。多様な10本が集まる中で、通例の映画祭のような授賞は困難と判断されて、件の3賞になったという。

 傾奇賞は『カムサ – 忘却の井戸』(ヴィノム監督、アルジェリア)、奨励賞は『劇場版「ヴァンパイア・イン・ザ・ガーデン」』(牧原亮太郎監督、日本)、境界賞は『四つの悪夢』(ロスト監督、オランダ・フランス)である。

 この中で特筆したいのは境界賞を受賞した作品である。デジタル技術を存分に使ってはいるが、従来のアニメに見慣れた者なら「何これ?」と思ってしまうほど、コマ単位で映像を管理するというアニメーションの概念からは遠い作風である。私個人の好みからもズレている作品だが、この授賞は、新潟フェスの目線と方向性、発言力を示す象徴となり得るのではないだろうか。

 受賞式の直前に賞の構成を変更した「面白さ」を含めて、結果的には成果を残せた第1回映画祭のコンペティションだったように感じた。

後編に続く)