新海誠監督、私は怒りませんでした。

 のっけから突飛なタイトルだが、最新作『天気の子』、公開初日に鑑賞した。
 本当に素晴らしかった。
 
 ほぼ1週間前、私の最新著書「新海誠の世界を旅する」(平凡社新書)が刊行された。
  https://www.amazon.co.jp/dp/458285916X/
 新海監督のこれまでのほぼ全作品を取り上げ、作品の舞台を私が旅しながら作品解読を行おうという趣旨である。Z会のウェブCM『クロスロード』も1章を割いて取り上げた。
 作品論・作家論になってはいるが、同時に旅行記でもあり、またそれぞれの地域の文化や地名の由来、鉄道史に至るまで、かなり広範囲の話題を取り上げた。
 その中で、私は『君の名は。』に関して、隕石衝突の大災害が「なかった」ことになったストーリーに疑問を呈したのである。これは公開当時から出ていた感想ではあるが、私は大災害を「なかった」ことにしたように見えることを指摘しつつ、むしろそれに関連して東日本大震災との関係を新海監督がインタビューなどで「喋りすぎ」たことを批判したのである。
  
 そうしたところ、『天気の子』公開直前、新海監督のインタビュー記事が発表された。
  https://news.yahoo.co.jp/feature/1389
 ここで彼は、『君の名は。』が「すごく批判を受けた」と告白した。それは「「代償なく人を生き返らせて、歴史を変えて幸せになる話だ」とも言われました。「ああ、全く僕が思っていたことと違う届き方をしてしまうんだな」と思いました。」と回想し、次回作(『天気の子』)では、「でもそこで「じゃあ、怒られないようにしよう」というふうには思わなかったです。むしろ「もっと叱られる映画にしたい」と。」
 つまり、新海監督が私の著作を読んだはずはないのだが、彼の弁に従うと、私は『天気の子』を見て、もっと怒る人に該当する可能性があったわけである。
 
 しかし、私は怒らなかった。
 『天気の子』は、彼のこれまでの作品歴の集大成というよりも、彼のキャリアを踏まえつつ異なるステージに上がり、驚くほど洗練された世界に満ち溢れていた。
 つまり彼は、アニメ監督から映画監督へとステージを変えたのである。
 新海誠監督は、他と比較されることのない独立峰として、アニメ界での存在感を、より確固たるものにしたのである。