雑誌「アニメーション」

 
 いわゆるアニメ情報誌は、現在でも老舗の「アニメージュ」を含め数種類が刊行されているが、最初の商業誌としてのアニメ情報誌は、「OUT」(1977年3月創刊)である。ついて、「アニメージュ」(78年6月創刊)、「アニメック」(78年12月創刊)という具合で、『宇宙戦艦ヤマト』ブームに当て込んで、78年前後から相次いで刊行された。
 もっとも、「OUT」などは、ごく初期にはアニメ以外のサブカルチャー全般を扱っていたが、次第にアニメに特化した誌面になった。
 
 そうしたなかで、ちょっと風変わりなアニメ情報誌(むしろアニメ専門誌と言ったほうが妥当か)が刊行され、ほどなく廃刊されたことは、現在、ほとんど忘れ去られている。
 今回は、そんな雑誌を紹介したい。
 
 ●「月刊絵本別冊 アニメーション」
  発行元: すばる書房
  創 刊: 1978年11月(隔月刊行、79年7月号(全5巻)で廃刊)
 
 
 
 わずか半年あまり、通巻5巻で廃刊になったが、これは発行元の倒産という事情による。
 しかし、A4判、毎号60〜70ページ前後というコンパクトな仕様ながら、掲載記事はかなり硬派で、批評・資料性に富み、読み応えのあるものだ。
 まず、創刊号から4号連続で、「日本アニメーション映画史」の著書の1人・山口且訓が、「アニメ黎明期の巨人」と題して連載している。「〜映画史」の余禄ともいうべき内容で、現在でもオリジナルとして引用できる情報も少なくない。
 また、当時は「ルパン三世カリオストロの城」の公開前で、まだ無名といってもよかった宮崎駿が、「失われた世界への郷愁」「発想からフィルムまで」などと題して、自身の作品制作の発想法が、多くのイラスト(ただしモノクロ)とともに寄稿・掲載されている。
 この文章そのものは、宮崎の著作集「出発点」でも再録されているが、イラストは再録されていないため、本誌の内容が貴重なものとなる。
 単なるアニメキャラクターファンには読みにくい、逆にアニメのことを深く知りたい人には読み応えのある、そんな誌面だったが、先述のとおり、発行元の倒産という事情により、あえなく廃刊となった。
  
 ●「アニメーション」
  発行元: ブロンズ社
  創 刊: 1979年12月(毎月刊行、80年7月刊行の8月号で廃刊)
  
 
 
 前掲のすばる書房版「アニメーション」が突如廃刊となってから、わずか半年後、同じ誌名・判型、そしてほぼ同じ誌面や内容をもつ雑誌が創刊された。
 これは、すばる書房版の編集スタッフが、ブロンズ社と交渉し、ほぼ同じスタイルの雑誌を、いわば「復刊」させたという事情による。
 結局は、こちらも半年で廃刊になるのだが、スタッフの執念には敬意を表したい。
 
 内容は、すばる書房版にも増して充実していた。
 人形アニメーション作家・川本喜八郎特集(80年7月号)などは、現在読んでも面白く参考になるし、『カリオストロの城』についての大塚康生インタビュー(創刊号)、木下蓮三特集(80年6月号)、宮崎駿の「続・発想からフィルムまで」も掲載されている。
 私が特に感銘を受けたのは、『母をたずねて三千里』の全話の脚本を担当した深沢一夫の寄稿「わがなつかしのマルコ少年」である(80年5月号。ただし、すばる書房版の3月号が初出で、本稿はそれを加筆したもの)。ここでは、深沢が、宮崎駿高畑勲らメインスタッフと作品の舞台であるイタリアやアルゼンチンへロケハンした際のエピソードが綴られているのだが、その結果、「三千里」原作者のデ・アミーチスは、どうやらアルゼンチンを現地取材せずに書いたらしいことが判明して、スタッフ全員が頭を抱えたという。
 つまり、マルコ少年は母親を訪ね歩き、原作では、アルゼンチンで「アンデス山脈を横目に旅をする」という描写になっているのだが、実際行って見ると、マルコ少年が旅をするルートからは、アンデス山脈などカケラも見えないのだ。
 
 いずれの雑誌も現在入手困難だが、まんだらけなどアニメ文献に強い古書店では、バラでは比較的よくみかけるので、根気強く集めるしかない。
 ちなみに私は、すばる書房版は地道に1冊ずつ集め、ブロンズ社版は、たまたま札幌を旅行した際に現地の古書店で全巻揃で見つけ、大喜びで買った覚えがある。(もう20年近く前の話)